【存在シリーズ②】私、嫌われたかも。それでもここにいる

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何気ない日常の中で、「あれ?嫌われたかも?」と感じる瞬間ってありませんか?

最近わたしにも、そんな出来事がありました。
相手の反応がちょっと冷たく感じられて、
その後なんだか心がざわざわしてしまった。

本当に嫌われたかどうかなんて、わからない。
でも、わたしの内側では確かに反応が起きていたんです。


嫌われることが怖いのは、なぜだろう?

誰かに嫌われると、
「私ってダメなのかな」
「何か悪いことしたかな」
「気を遣わせたのかもしれない」
って、どんどん内省(という名の自己否定)に入ってしまう。

でも、ふと立ち止まってみたとき、
この感覚に、どこかで見覚えがあることに気づきました。

・人に嫌われないようにしなきゃ
・感じよくしなきゃ
・迷惑かけちゃダメ
・ちゃんとした人でいなきゃ

ああ、また「守るためのパターン」に入っていたんだなって思った。


ふと思い出した意図先生の言葉。

「誰かに嫌われても、あなたの存在は何ひとつ減らないよ。
嫌われることを恐れて生きるより、自分を隠さないでいてごらん。」

じんわり胸に染みた。
本当にそうかもしれない。

わたしは、「嫌われない私」でいようとして、
本当の気持ちや反応を抑えてきた。

でも、嫌われたって、誤解されたって、
それでも私は、ここにいる。
ちゃんとここに、生きている。


存在を思い出す時間。

呼吸を深く吸ってみる。
肩がふっと軽くなった。

私は誰かの機嫌をとるために存在してるんじゃない。
全員に好かれる必要なんてない。

わたしがわたしをちゃんと感じていれば、
それで十分だったんだ。


今日の気づき:

嫌われても、誤解されても、私は存在している。
このままで、ちゃんとここにいる。


さいごに。

これからも、誰かの反応にガリッとすることはあると思う。
でもそのたびに、私は「存在に戻る」選択ができる。

正しさじゃなく、
好かれることでもなく、
安心できる自分自身に。

誰かとの関係に揺れても、
そこから「在り方」に帰ってこられること。
それが今のわたしにとっての自由だなって思った。


▶︎ 次回:「“どう在りたいかわからない”時に戻る場所」へつづく

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