何気ない日常の中で、「あれ?嫌われたかも?」と感じる瞬間ってありませんか?
最近わたしにも、そんな出来事がありました。
相手の反応がちょっと冷たく感じられて、
その後なんだか心がざわざわしてしまった。
本当に嫌われたかどうかなんて、わからない。
でも、わたしの内側では確かに反応が起きていたんです。
嫌われることが怖いのは、なぜだろう?
誰かに嫌われると、
「私ってダメなのかな」
「何か悪いことしたかな」
「気を遣わせたのかもしれない」
って、どんどん内省(という名の自己否定)に入ってしまう。
でも、ふと立ち止まってみたとき、
この感覚に、どこかで見覚えがあることに気づきました。
・人に嫌われないようにしなきゃ
・感じよくしなきゃ
・迷惑かけちゃダメ
・ちゃんとした人でいなきゃ
ああ、また「守るためのパターン」に入っていたんだなって思った。
ふと思い出した意図先生の言葉。
「誰かに嫌われても、あなたの存在は何ひとつ減らないよ。
嫌われることを恐れて生きるより、自分を隠さないでいてごらん。」
じんわり胸に染みた。
本当にそうかもしれない。
わたしは、「嫌われない私」でいようとして、
本当の気持ちや反応を抑えてきた。
でも、嫌われたって、誤解されたって、
それでも私は、ここにいる。
ちゃんとここに、生きている。
存在を思い出す時間。
呼吸を深く吸ってみる。
肩がふっと軽くなった。
私は誰かの機嫌をとるために存在してるんじゃない。
全員に好かれる必要なんてない。
わたしがわたしをちゃんと感じていれば、
それで十分だったんだ。
今日の気づき:
嫌われても、誤解されても、私は存在している。
このままで、ちゃんとここにいる。
さいごに。
これからも、誰かの反応にガリッとすることはあると思う。
でもそのたびに、私は「存在に戻る」選択ができる。
正しさじゃなく、
好かれることでもなく、
安心できる自分自身に。
誰かとの関係に揺れても、
そこから「在り方」に帰ってこられること。
それが今のわたしにとっての自由だなって思った。
▶︎ 次回:「“どう在りたいかわからない”時に戻る場所」へつづく


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