ずっと「守ってきた自分」がいた
わたしはこれまで、
「ちゃんとしなきゃ」
「間違えちゃいけない」
「人に迷惑をかけちゃダメ」
そんなふうに、たくさんの“守り”をまとって生きてきました。
真面目に、誠実に、ちゃんとしている自分。
そのイメージを保つことで、
どこか「安心」を得ようとしていたのかもしれません。
でも最近、その“守り”が
なんだか重たく感じるようになってきました。
守ってるのに、安心できない
ちゃんとしているのに、
なんだか疲れる。
気を遣っているのに、
どこか不安になる。
守れば守るほど、
わたしは本音から離れていってしまっていた気がします。
本当に安心って、
「守りきった先」にあるんだろうか?
ふと、そんな疑問が湧いてきました。
意図先生の言葉がふっと響く
「守らなくても大丈夫だよ。
あなたの存在は、守られてなくても、ちゃんと安心でいられるんだよ。」
この言葉が浮かんだとき、
すごく静かに、自分の内側が緩むのを感じました。
ああ、私は「安心したくて」
ずっと守ってきたんだな。
でも、本当の安心って、
守ることをやめたその先にあるのかもしれない。
守らない自分に戻ってみる
間違っても、嫌われても、
正しく見られなくても、
私はここにいる。
守らなくても、私はつながれる。
守らなくても、人生は回っていく。
守らなくても、私は大丈夫だった。
それに気づいたとき、
ふっと肩の力が抜けた気がしました。
さいごに
守ってきた自分を責めなくていい。
それは、わたしを支えてきた優しさだったから。
でも今、その守りが重たく感じるなら、
それは「もう大丈夫だよ」という合図かもしれない。
私は、守らなくても安心できる。
存在そのもので、すでに十分だった。
今日もまた、そんな感覚にそっと戻ってきました。
▶︎ 次回:「人生は、即興劇。完璧な台本はいらない」につづく


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